リーダー大城が振り返る「やや曖昧なハイリミッツの歴史」

1992

北九州の某大学に大城(Gu.)と白石つよし(Ba.)が入学。この頃はお互いを知らない。大城は軽音サークルにさっそく入部。




1994

入学式当日、サークルの部室近辺をみすぼらしい格好でうろついていた不審な男を発見。男は自らを「鶴坊」と名乗り、入部。この当時、大城は鶴坊のことを「ギターがちょいと弾ける変な奴」程度にしか思っていなかった。


同年初夏
この頃の大城と鶴坊は、毎晩のように大酒をあおっていた。この頃、大城は鶴坊のことを「朝までとことん付き合ってくれるおもろい奴」程度にしか思っていなかった。


同年夏
大城「そういえば、おまえはボーカリストやのに歌ってるとこ見たことないなぁ。なんか歌ってみろや。」
鶴坊「はぁ。」

このやりとりのあと、鶴坊のアコギ1本での生歌を聴いた大城は一発で酔いが吹っ飛び、あわててテレコを取りに戻る。「も、もう1回歌って。」このとき録音されたカセットテープは、しばらく大城邸のBGMになる。同時に、鶴坊の存在が大学や街周辺でちらほら噂になっていった。

このころ、つよしは「ゲッパ−」というバンドで活躍。福岡で多少ブイブイいわせていた。大城と出会って間もないころである。

大城→つよしの第一印象「軽そうなやつだ。」
つよし→大城の第一印象「えらそうな奴だ。」


同年冬
鶴坊は自らのバンド(ニュードリフ)を率い、ライブ活動を行なう。つよしは「ゲッパ−」でさらにブイブイいわせる。福岡でも名の知れた存在になる。この頃の大城は、とりあえずバンドは幾つもやるものの、将来に何の展望も見いだせずあいかわらず酒浸りの腐りきった現実逃避の毎日を送る。




1995
鶴坊はストリートで歌うことで生計をたてる。それでも、歓楽街のきれいなお姉さんがいるお店でガンガン飲めるくらい稼ぐ。つよしはゲッパ−で数々の地元のコンテストで入賞。つよしモテモテ黄金期。


同年夏
鶴坊、アコギ1本で日本をふらり旅。家を出るときの所持金は数百円程度。アホである。




1996

大城、一念発起。鶴坊とバンドを組む。でもとりあえず2人。

 
同年夏
やはり2人では何も出来ないことに気づく。dr.に、たろが加入。しかしBa.が見つからなかった。


同年秋
3人での練習に限界を感じたメンバーは、泣く子も黙るゲッパ−のベーシスト、つよしにヘルプでの加入を頼む。2つ返事でOK。
バンド名決定。鶴坊「ハ行がいい。ハイライト(タバコ)をもじってつけよう。」わずか1ヵ月後に初ライブ。そのときのVTRは今見ると爆笑。



1997
のちのドラマー、井上たくやが入学。
飲み屋で、弾き語りで歌う鶴坊に感激したたくやは、鶴坊にサインをもらう。そのときのサインには、律儀に本名で、しかも住所が記されていた。

ハイリミッツはライブを繰り返す。この頃からたくさんのイベントに出演。気を良くしたメンバーは「俺たちってイケてるかも。」と思ってしまう。アホである。


同年秋
各地の要望に応え、デモテープ「GREAT REAL SOUL(7曲入り\300)」発売。飛ぶように売れる。ちなみにこれは実はライブのライン録音だった。ヒドイ商売 だ。ゲッパ−解散。つよしハイリミッツの正式メンバーに。




1998
鶴坊、大学中退。全然行ってなかったので、学費の無駄だとこの頃気づく。デモテープ「ハイ・ハイリミッツ」発売。売れまくる。


同年秋

初の全国ツアーを敢行。15日間で14ヶ所をまわるという、地獄のようなスケ ジュール。貧乏だったため、炊飯器や調味料を持参。各ライブハウスの便所で米をとぐ。「全員ガリガリに痩せ細って帰ってくるだろう。」という周囲の期待を裏切り、メンバー全員何故か太って帰ってくる。旅とライブを満喫して、無事この年のツアーは終わった。





1999
ツアーとライブに明け暮れる。デモテープ「平日クロージング」発売。ほんとのタイトルは「平日クルージング」。出来上がりが誤植だった。よく売れる。


同年夏
ドラマーのたろが円満寿脱退。メンバーは次のドラマーを探す。


同年秋
練習熱心で一本気、薩摩隼人な九州男児の後輩、井上たくやを誘う。最初に大城がたくやに電話したとき、「考えさせてください。」と言われ大城はメンバーに「もうダメだ。フラレたよ。」と伝える。1週間後、再度アタック。「俺にやらせてください!」と熱い返事がかえってくる。大城やや泣く。こうして現在の4人に。2週間後にワンマンをひかえていたため、たくやは2週間で20曲近くおぼえるはめに。





2000
ミレニアムカウントダウンライブ。キャナルシティ博多で一万人を越す群衆の前でライブ。大城、緊張でややちびりそうになる。このライブ終了後、友人含め10人ほどで初詣に行く途中に、元旦から玉突き事故。3台のうちの真ん中。幸いけが人は無し。
「今年はきっと当たり年だぜ。」


同年5月
1stCD「elephant's blues & popcorn 」発売。ライブ会場のみの発売にかかわ らず1000枚がソッコ−で売り切れる。あわてて増産。これに伴ない3回目の全国ツアーへ。


同年12月
east west japanとメジャー契約。
初の東京レコーディング。




2001年
5月
大坂城野外音楽堂で行なわれたFM802の主催イベントに異例の大抜擢。 3000人を越す群衆の前でライブ。この日もCDが飛ぶように売れた。
 
1stシングル「ワイパー、ドライブ、フルボリューム」でメジャーデビュー。
ビデオクリップの撮影やキャンペーンなど、たくさんの初体験にメンバー、嬉々として喜ぶ。


8月
2ndシングル「氷の世界」発売。
 
東京〜名古屋〜大阪を同じメンツでまわる、R&R NewsMaker誌主催イベント「BRAVO NIGH T!2001」に参加。ミュージシャン仲間がたくさんできた素晴らしいイベントだった。なお、このイベントは12月まで続いた。

(2002年1月現在)



鶴坊が語る
かなり詳細な「鶴坊の歴史」もよろしく。

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